筆者が留学中の中央ヨーロッパ大学のあるハンガリーの首都ブダペストは「ドナウの真珠」、「東欧のパリ」と称されるほど歴史的建築物が整然と並ぶ美しい街である。街の北東から南西を走るアンドラーシ通りを歩くだけでも、その数奇な歴史を感じることができる。英雄広場には9世紀にハンガリーを建国した英雄たちの像がたたずみ、通りを南西に下れば右手に国立歌劇場がそびえたつ。19世紀に創設されたこの歌劇場で、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代には、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世や皇妃エリザベート(愛称シシィ)がオペラを楽しんだという。ブダペスト市民の憩いの場であるコスタ・コーヒーの店舗のある建物を曲がれば、初代ハンガリー国王の名にちなんだ荘厳なイシュトバーン聖堂の後ろ姿が目に飛び込んでくる。街の目抜き通りを歩くだけでハンガリー史に思いを馳せることができるのであるが、ブダペストはまた冷戦史を学ぶにうってつけの場所でもある。
 イシュトバーン聖堂前広場を直進してすぐの中央ヨーロッパ大学は、ハンガリーが共産主義から民主主義への過渡期にあった1991年にジョージ・ソロスによって設立された。大学附属のオープン・ソサイエティ・アーカイヴには、ハンガリーをはじめ旧共産主義体制下の東欧の民主化団体が使用したサミズダード(地下新聞)の現物ほか貴重な冷戦期の史料が保管されている。大学のそばには自由広場がある。広場の中心には、第二次世界大戦末期に当地のドイツ軍を駆逐したソ連軍を称える解放記念碑がそびえる。アメリカ大統領ロナルド・レーガンの等身大の銅像もある。ドイツ軍からブダペストを解放したソ連軍を称える記念碑と、その後の米ソ冷戦を終結に導いたレーガン像が自由広場に共存していることは何ともシュールである。ちなみに、レーガンは大統領在任中ブダペストを訪問してはおらず、実際にはジョージ・H・W・ブッシュ大統領が1989年7月に訪問しているが、ここにはブッシュの銅像はない。自由広場から歩いてすぐのところに1956年のハンガリー動乱の旗手で、やがて処刑されたイムレ・ナジの銅像が国会議事堂を静かに見つめている。国会議事堂前のコッシュート広場にはソ連式の国章を取り除き、真ん中に穴のあいたハンガリー国旗がはためいている。広場の地下には、ハンガリー動乱時の広場に集うブダペスト市民をソ連軍戦車が粉砕する様子を伝える映像が淡々と放映されている。

民主化にかかわった市民の多くはアンドラーシ通りに本部を持つハンガリー国家保安局(ÁVH)により逮捕され、処刑された。ÁVH本部は大戦中ナチスに加担したハンガリーのファシスト政党、矢十字党の本部が置かれていた。同本部は現在「恐怖の館」として一般公開されており、筆者のアパートの近くにあるこの建物を眺める度、筆者はイデオロギーが対極にある全く異なる体制が、めぐりめぐって恐怖による支配という同一の手法を採用した皮肉を感じることがある。
 1989年6月、ハンガリー動乱の名誉回復されたイムレ・ナジの再埋葬式が英雄広場で行われ、7月にはブダペストを訪問したブッシュがコッシュート広場で演説を行い、ハンガリーの民主化支援を約した。8月にはオーストリア・ハンガリー国境が解放され(ヨーロッパピクニック計画)、ベルリンの壁崩壊、ドイツ統一、ソ連崩壊と冷戦は終結へと向かう。そして現在、筆者のような日本人が、安全保障、民主主義、政治体制、自由などのテーマを世界各地からやって来た学生とともに机を並べともに学ぶまでにいたった。冷戦史を今に伝えるこのブダペストの街で冷戦期とのコントラストを感じずにはいられない。
(志田淳二郎・中央大学法学部任期制助教)